「推し活」という言葉が当たり前のように使われる現代。ですが、その原点ともいえる“昭和のアイドルファン文化”を振り返ると、私たちの「推す」という行為には、時代を越えた熱量と工夫があることに気づかされます。
今回は、昭和時代のファン活動を掘り下げながら、現代の推し活に通じる文化のルーツを探ってみましょう。
昭和のアイドルとは?
国民的スターの誕生
1970〜80年代の日本では、テレビやラジオの影響力が非常に強く、全国的に人気の出る“国民的アイドル”が多数誕生しました。山口百恵、ピンク・レディー、近藤真彦、松田聖子、中森明菜など、今でも語り継がれるスターたちは、まさに昭和の象徴でした。
メディア中心の推し活
当時のファンは、雑誌のグラビアを切り抜いてスクラップブックを作ったり、テレビ番組の放送日をカレンダーに記録して全力で視聴したりするなど、主にメディアを通じて「推し」を応援していました。
昭和時代のファン活動の特徴
推しを応援する「現場」はどこだった?
昭和のファン活動といえば、公開録画番組への観覧応募、コンサート会場、ファンクラブのイベントなどが中心でした。特に『ザ・ベストテン』や『夜のヒットスタジオ』の公開収録に参加することは、推しに直接会える数少ない機会でした。
手紙文化とファンクラブ
ファンレターを書くのが当たり前の時代。手紙には、カラフルな便箋やオリジナルのシールを貼って、気持ちを込めて送っていました。また、公式ファンクラブに入会すると、年に数回の会報や写真セットが届き、ファン同士の絆を育む重要な存在でした。
グッズ収集のはじまり
昭和グッズの代表例
昭和のファングッズといえば、
- ブロマイド写真
- カセットテープ(推しの音源)
- 雑誌の付録ポスター
- テレホンカード
- ノベルティの文房具類
などがありました。これらは当時の宝物であり、今では“昭和レトログッズ”として高値で取引されることもあります。
写真は貴重な記録
今のようにスマホで簡単に撮影できなかった時代、プロが撮影した写真や雑誌の1ページが、唯一の「推しの姿」でした。そのため、ファン同士で写真を交換したり、アルバムを何冊も作る文化が発展しました。
昭和と令和の推し活の違いと共通点
SNS vs 手紙・会報
現代ではSNSやYouTubeなどで推しに直接コメントできる時代。一方、昭和は手紙やファンクラブ会報といった、より“手間と時間をかける愛”が主流でした。
推し活は「つながり」の文化
昭和でも令和でも、推し活の本質は「好きな人・ものを応援し、共感を通してつながること」。昔のファンは文通や現場での出会いでつながっていましたが、今はオンラインで気軽に全国の仲間と語り合える時代になっています。
まとめ:昭和の熱量は今も生きている
「推し活の考古学」として振り返ると、昭和のアイドルファン文化は、今の推し活の土台を築いた“原点”とも言える存在です。
私たちが「推しを愛でる」という行為の中に、どこか懐かしくも変わらぬ人間の情熱が感じられるのは、昭和のファンたちが残してくれた文化の香りが今も生きているからかもしれません。